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 けちんぼジャック、悪魔をだました
 哀れな悪魔は約束をした
 ジャックの魂はとりません

 けちんぼジャックが死んだとき
 天国の門はくぐれない
 地獄の底へも落ちれない
 悪魔と約束したばかり

 けちんぼジャック、悪魔をだました
 哀れなジャック、ランタン持って
 暗い道をさまよい続ける



幻灯一路 Between the night.




 なんだ地味だな、とフランケンシュタインが俺に言った。
 頭に作り物のネジを乗っけて、オーバーオールを着た男は、へらへら笑いながらグラスを傾けていた。
 眼鏡をかけてクソ甘いカクテルを飲むフランケンなぞ、怖くも何ともないな。
「悪いが俺は酒を飲みに来ただけだ」
 呟いて手に持ったグラスを見せつける。
「あー、はいはい。このアル中め」
「失礼な」
 いくら飲んでもろくに酔えないんだけだ。
「お前は相変わらず軽めのカクテル一杯か」
「これでも薄めでって言ったのになー、一杯飲めないかも。飲む?」
 甘い色のキラキラしたカクテルを受け取る。
 一口飲むと、思ってたよりは爽やかな甘みが広がった。
 が、しかし。
「……これのどこが酒だ」
「え、うそ。ちゃんと酒の味するでしょ」
 毎度毎度知ってはいるが、あまりにも残念な結果に毎度毎度うんざりする。
「ちぇ。いいよなあ、お前は。強いからいろんな酒が飲めてさ」
「恨むなら自分の肝臓を恨め」
「あ、そうか。な、肝臓交換しようよ、肝臓」
 フランケンにかけた発言なのだろうが、笑う気にはなれない。
 むっつりと酒を飲み込む。
 日本酒の味が体中に染み入るような気がした。うまい酒なのだ、本当なら。
「あーなに、無視? もしかして機嫌悪いわけ?」
「作り笑いでよければいくらでも披露してやるが?」
「やれって言ったってやらないくせによく言うよ」
 フランケンが苦笑する。
「せっかくのハロウィンなんだからさ。もう少し楽しめよ、空気悪いぞ」
 ハロウィン。
 分かりきってたその言葉に、グラスを持っていた手が止まる。
 胃の底に苦いものを直接塗り込まれたような不快感が広がった。
「……うんざりなんだよ」
 ため息とともにはき出した言葉は、幸いにもフランケンには届かなかったらしい。
 盛り上がりに盛り上がった仮装パーティは宴もたけなわ、うんざりするぐらいにそこら中できあがってる。
 もうすぐハロウィンだからなんかしようぜと言う話が出たのが半月前。知り合いの知り合いがやってるというバーを借りて宴会がてら仮装パーティをしようという話になって、気がついたら大々的にものになっていた。もはや顔も名前も知らない奴らが半分くらいいる。
 そもそも人付き合いが悪い俺には、なんとも居心地の悪い空間だ。
「ん、なんつった?」
「……別に」
 ああ、そうだうんざりだ。
 華やかで色とりどりの仮装たちに囲まれて、きらきらとゆらめくカクテルを囲い、現実と非現実がごっちゃまぜになったような、重苦しい空間。
 酒の力でも借りないとやってられない。
 気が狂ったような饗宴。
 テーブルの上でカボチャが笑う。
 ジャック・オ・ランタン、暗闇を永遠にさまよう悪魔の名前を冠されて、それでも笑い続けるしかない哀れなカボチャめ。
 まるで俺のようじゃないか。
「おーい、そろそろお開きの時間だからなー! 着替える奴はちゃっちゃと着替えろよ!」
 離れたところでハリーポッターの格好をした幹事が叫んでいる。
 その声は何度も上がる嬌声に紛れて聞き取りづらい。
「えー、もうそんな時間なのかよ」
 フランケンが名残惜しそうに天井の照明を見上げる。かなりこだわった内装のバーだったが、照明につけられたセロファンが安っぽくて情けない。
「んな残念でもないだろ。俺はもう飽きた」
「そりゃ、仮装もしないで一人むっつり酒飲んでるだけだったんだから飽きるだろうよ。もっと楽しめばよかったに」
「帰る」
 まだ酒は残っていたが、テーブルに無造作に置いてさっさと立ち上がる。
 お開きになった以上、一刻も早くここから抜け出したかった。
「え、おい!」
「あれ、なに、もう帰っちゃうの?」
 背中に黒い羽をつけたサークル仲間が、めざとく気づいて声をかけてくる。
「二次会はカラオケだよ、行かないの?」
 黒くて丸い目に自分が写っているのだろう。一人だけ現実に染まっている、むなしい俺の姿が。
 誰もが夢の中にいるから気がつかないんだ。
「悪いけど。気分もよくないし」
「え、そうなの? 大丈夫?」
「お前、体調悪いなら酒なんか飲むなよ!」
 フランケンと小悪魔が心配そうに囲んでくる。言わなきゃよかったか。
「平気だ。すぐに治る」
 もうすぐこの馬鹿げた宴も終わるんだから。
「送っていくか?」
「必要ねえよ」
 気のいいフランケン。そういえばお前は俺の親友だったっけ。
「ねえ、ほんとに大丈夫? 顔色悪いよ」
 大きな目の小悪魔。そういえば君は俺の恋人だったっけ。
 現実と非現実が混ざって、曖昧な輪郭に溶けていく。
 ああ、俺はいい加減、帰りたいのにな。
「平気だって。また明日会えんだろ」
 そうまた明日。
 日付が変われば。



 なんだ地味だな。
 フランケンがつまらなさそうに呟いた。
 その肩の向こうで、小悪魔が楽しそうに誰かと笑っている。
「……なあ、いつになったら終わるんだよ」
「え、何が?」
 何回繰り返したら、この夜は終わるんだ。
「なんでもねえよ。俺は適当に飲んでるから、お前はその辺で遊んでろよ」
 そういってフランケンを追い払うと、テーブルのカボチャから目をそらすように酒をあおった。
 もうすぐハロウィンだからなんかしようぜと言う話が出たのが半月前。知り合いの知り合いがやってるというバーを借りて宴会がてら仮装パーティをしようという話になったのはいつの頃だったか。
 もはや遠い昔のように思える。
 何杯飲んでも酒なんてろくに回らない。
 カクテル一杯でべろんべろんになるフランケンが大いにうらやましい。肝臓でも何でも交換できるものならしたいのはこっちだ。
「……なあ、お前、大丈夫?」
 いつの間にか目の前にフランケンがいた。
 眼鏡の下で心配そうな目が俺を見る。こいつはフランケンの自覚があるのか。
「何が」
「いつもよりペース早いだろ。いくら強いったって、無理な飲み方するなよ」
「大きなお世話だ」
「……それに、なんかお前つらそうだよ。なにかあったのか?」
 ああ、本当に、お前は俺の親友だったんだな。
 そう思う感情は確かにあるのに、あまりにも繰り返しすぎて擦り切れてしまったようだ。
 なにもかもが曖昧で重苦しい。


 お前たちは誰も気づかない。明日なんてこないことに。
 それとも俺だけが、この夜にはまってしまったのか。
 永遠に迷い続けるジャック・オ・ランタンの夜に。

 テーブルの上で、カボチャが笑った。


 今夜も何も変わらず当たり前のように宴会が終わった。酒の余韻を残しながら大人数で夜道を歩く。
 涼しい風がほてった肌の上を滑り、一瞬だけ心地よさに現実を忘れた。
 すべて悪い夢だったんじゃないかと思える。
 今でも少しは思っている。
 これは俺が見ている悪夢で、目を覚ましたら当たり前のように俺の部屋で、もしかしたら隣にサイズの合わない俺の服なんかを着ちゃった彼女が安らかな寝息を立てているんじゃないかとか、もしかしたら二日酔いの頭を抱えた親友がよれよれの格好で寝床に潜り込んでたりしないかとか。
 そんな夢なら何度も描いた。
 けれどもどれだけ夜が過ぎようと、現実に俺がいる方が現実で、幸せな夢はあくまでも虚構で、俺の脳内での勝手な作り事でしかなかった。
 もうそれでもいいと思ったりもした。
 これが悲しい現実で、日常という名の幸せな夢を見ているだけでもいいと思った。
 夢でもいいから、この陰鬱とした現状から逃れたかった。
「……なあ、ホントに大丈夫か?」
 フランケンではなくなった、ただの人間が俺に問いかける。
「何が」
「顔色悪いぞ。飲み過ぎたんじゃないか?」
 酒に異常に弱いこいつは、他人が飲み過ぎることに敏感だ。人のことなど放っておけばいいのに。
 そういえばこいつ最初もこうやって俺に声をかけてきたんだっけ。
 なんかの飲み会でいつものように酒を飲んでいた俺を、勝手に飲み過ぎてると判断したこいつが必死になって心配してきて、その様子がなんだか気に入って声をかけたりかけられたりしているうちに、親友と呼べる仲にもなって。
「お前はいいな」
「は? 何が?」
 素っ頓狂な声を出す。
「羨ましい」
 いつだったか酔ったこいつの相手をしたときに、延々くだを巻かれたことを思い出す。
 俺はお前と違ってイケメンでもないし頭も良くないし彼女もいないし出来てもすぐにつまらないとかイイ人なんだけどねとか言われるしそんな理由でフられまくるしとにかくお前が羨ましいと五回ぐらい言われたっけ。あれは辟易した。
 それでもお前は、人付き合いがいいし顔が広いし、屈託がなくてわりと誰にでも好かれるし、たぶん裏表もなくて今時珍しくまじめでまっすぐで、多少優柔不断だったりする嫌いもあるけど、たにかく俺は捻くれてばかりだから心からお前が羨ましいんだ。
 もちろんひねくれ者の俺はそんなこと顔にも出さなかったけれど。
「ずっと羨ましかったよ、お前が」
 フランケンから人間に戻った男は、少し寂しげななんだか置いて行かれる子犬みたいな顔をして、立ち止まった。俺はそれに気づかず少し進んでしまって、見えなくなった姿を捜して振り返った。
 何か言われた気がした。
 その言葉を聞き取る前に、まぶしい光が俺の目を焼いて意識を奪い去る。
 待ってくれ、俺は何か大事なことを聞き逃した気がするんだ。
 声にならない訴えは決して届かない。


 ドン、と鈍い音がした。


 はっと我に返った視界に、夜の光景が戻ってくる。
 誰かの小さな悲鳴が聞こえた。
 違う、悲鳴が小さいんじゃない、俺の耳が拒絶しているんだ。
 その悲鳴はだって、さっきまで小悪魔の格好をして楽しげに笑っていた彼女のもので、そしてその悲鳴が上がったのは――

 目の前に横たわる、赤黒い親友だったものを見たからで。

 俺は血が下がる音を聞いた。
 地面が抜けて、落下していっているような錯覚。
 そうだ錯覚だ。俺の足は地面に立っている。スニーカーが硬いアスファルトを踏みしめ、まっすぐに立っている。
 本当に?
 立っているつもりなだけで、俺はもう倒れているんじゃないか?
 冷えていく全身と対照的に右腕だけが暖かかった。顔を向けると蒼い顔をした彼女がすがりついていた。
 いや、俺を支えているのか?
 わからない。何もわからない。
 なぜここに倒れているのが俺ではないんだ。
 どうしてお前が倒れているんだ。
 かすれた声が俺の喉から絞り出されるように出てきた。
 確かな音にはならなかった。
 遠くから誰かが叫んでいるのが聞こえる。誰かが必死に助けを求めている。
 誰が?

 俺か?



 お前か?




 なんだ地味だな、とフランケンが目の前で笑っていた。
「せっかくなんだから仮装して来いって言っただろ?」
 酒を飲みに来ただけだ、と俺は慣性で返事をする。
「なんだよ、衣装用意したとか前言ってたから期待したのになあ」
「衣装?」
 眉をひそめて聞き返すと、フランケンは少しだけ悲しそうに俺を見た。
「そうだよ、お前ちょっと前に衣装用意したから楽しみにしたければしろって言ったじゃんか。俺が何の衣装なんだってしつこく聞いても教えてくれないしさー」
 そうだっただろうか。
 そう一番はじめの、まだ何も知らずにハロウィンを楽しみにしていた、遙か遠い昔にはそんなことも言ったかもしれない。
「気分じゃなかったんだ」
「なんだよそれ」
「夢見が悪かった」
 手に持っていた酒をあおるとやけに苦い。
「どんな夢見たんだ?」
「……どんな夢って」
 アスファルトに広がる赤い色を思い出す。赤黒く、地面を染める禍々しい死の色。
 胃がひきつれるような痛みを訴えた。諦めて酒をテーブルに戻す。
 顔を上げるとフランケンが不思議そうな顔で俺を見ていた。このあとお前が死ぬ夢を見たんだ、とは言えない。
「言えないくらいやな夢でも見たのか? お前、なんかそういうの強そうに見えるけどなあ」
「なんだそれ」
「や、ほら、ホラーとかスプラッタとかオカルトとか涼しげな顔でスルーしそうじゃん」
「スプラッタは駄目だ」
 ホラーもオカルトもどうでもいいが、昔から血や怪我は駄目だった。自分がそうなったときのことをリアルに想像してしまえる脳みそが疎ましかった。だから高所も嫌いだし、エレベーターも正直好きではない。
「……そうだったんだ」
 へえーと意外そうな顔でフランケンが言う。
 目眩がしてきた。
 遠くでいくつかの酒が出来たと、幹事が酒の名前を連呼していた。あ、とフランケンが声を上げる。
 悪いと一声かけて彼は酒を受け取りに言ってしまった。
 またあのキラキラした甘そうなカクテルでも飲むのだろうか。
 そう思っていたら、戻ってきたフランケンの手の中には真っ赤な色が蠢いていた。
 血のように、赤い。
 ざっと血の気が引く。
「お、おい、大丈夫か?」
 フランケンの手が俺の肩に置かれる。
 右手に持ったままのグラスには、赤い色をした酒が照明の光を反射してさざめいている。ただの、酒だ。
「……大丈夫だ」
「本当に大丈夫か?」
 フランケンの目を見て頷く。
 その肩の向こうで小悪魔が心配そうにこっちを見ていた。
「ちょっと酒が変に回ったんだろ。悪いんだけどウーロン茶かなんかもらってきてくれ」
「……わかった」
 そういうとフランケンは小悪魔に一声かけて離れていった。
「大丈夫?」
 間をおかずに小悪魔が小さく声をかけてくる。
「平気」
「……ならいいけど」
 小悪魔の、まとめた髪からこぼれているわずかに黒髪に手を絡ませる。
「どうしたの?」
「俺、ここにいるよな?」
 小悪魔がよりいっそう不安げな顔をした。
 俺はここにいるよな?
 お前はここにいるよな?
 あいつは、ここにいるよな?
 息が苦しかった。
「ほら、ウーロン茶」
 いつの間にかフランケンが戻ってきて、俺にグラスを手渡していた。
 アルコールの入っていない冷たい液体が妙に美味しく感じた。
 ああ、そういえばずっと、もう長いことアルコールしか飲んでいなかったから。
「お前が悪酔いするなんて珍しいなあ」
「……まったくな」
 気分は少しましになった。
 どうやら目に見えて顔色も戻ってきているらしく、フランケンも小悪魔も安堵の表情を浮かべていた。
「あれだよ、お前スプラッタ苦手なくせにジェイソンの衣装なんか用意してるから悪い夢を見たんだよ」
 フランケンが明るく言い放つ。
 冗談を言うつもりだったのだろうか。フランケンは笑っている。
「……お前」
「何?」
 フランケンは笑っている。ずっと笑っていた。変わらない笑顔。
 本当に?
 本当にこいつは心から笑っていたのか?
「お前、知ってるのか」
 なんのこと、と小悪魔が言った。
 フランケンは笑顔を崩さない。
 凍り付いたような笑顔のまま、フランケンはしゃべる。
「知ってる? ジャック・オ・ランタンは道に迷い続けてるって」
 テーブルの中央でカボチャは変わらず笑っている。
 お前は覚えていたのか。
 俺が着たジェイソンの衣装のことを。
 知っていたのか。
 この夜が繰り返されていたことを。
 あの日、始まりの夜にお前が死んだことを。
 お前は知っていたのか。
 フランケンは笑い続けている。
「……ああ。知ってたよ」
 俺の声は疲れ果てている。
 フランケンの隣で笑うカボチャ。
 永遠に迷い続ける、哀れな男の魂を照らし続けて。
 違うだろう、お前はそんな男じゃないだろう。
 お前は。
「お前は、そうはならないだろ」
 フランケンの笑みが止まった。
「さまよい続けるなんて、お前には似合わないんだよ」
「……そう、かな?」
 不安げにフランケンが聞く。
 お前は人が良くて真面目でまっすぐで、そのくせ自分に自信がなくて時々優柔不断で、だからよく人間関係のもめ事に巻き込まれて胃を痛めたりなんかもして。
 その点俺は孤高気取りで人付き合いが悪かったから、そうやって愚痴を言いに来たお前を突っぱねたりしたけど。
 お前は逆にそれをありがたがったっけ。
 俺みたいな奴に言い切ってもらえるとスッキリして決められるんだと、いつだったかそう言っていたのを、覚えている。
 俺は、覚えているよ。
「俺なんかにしがみついてんなよ」
 だから俺は突き放してやる。
 お前の迷いも何もかも、すべてを俺が切り離してやる。
「お前は行ける。だから迷うな」
 俺がそう言うと、フランケンはようやく笑った。
 ほっとしたような気が抜けたような、少し情けないいつもの笑顔だった。
 力が抜けて震えそうになる右手を暖かいものが包んだ。隣を見ると小悪魔が俺の手を握って寄り添ってくれていた。
 俺も彼女も、ここにいる。
 生きている。
「じゃあな、フランケン」
 フンと言い放つと、フランケンはひどいなあと笑った。
「最後くらいちゃんと名前を呼んでくれてもいいじゃないか」
「人を謀った罰だ。一生恨んでやるからな」
 ひどいなあとまたフランケンが言った。
 楽しそうに笑った。



 それがさいごだった。



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2008.9.23. 原稿用紙24枚