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  僕の名前はカナン。
  しがない、旅人さ。


Take Over 赤い城壁の話



 青い空の下、赤銅色の城壁が高くそびえ立っている。
 十年もの昔に戦争で焼けてから、この色のままである。世界一の城塞都市と呼ばれた由来でもあるその城壁は、激しい戦火をくぐり抜け、敗戦後もその姿を残している。

 俺は、そんな城壁を眺めていた。
 ごくごく一般的な旅人の格好をし、ごくごく一般的に街に入るための検問待ちの最中。
「こんにちは」
 ふいに後ろから、声がかかった。成熟できていない、少し高いトーンの透き通った声だ。
 後ろに立っていたのは、同じように検問待ちをしていた旅人だった。

 ただしこちらは、一般的な旅人とはあまり言えない。
 年は十代の後半といったところ、もしくはそれ以下。決して大人ではありえない。その証拠に旅人がよく着用するマントがだいぶ大きい。首にはスカーフを巻き、肩には黒猫が乗っている。
「ああ、こんにちは」
 旅人同士で挨拶を交わすことはそう珍しくない。友好的に挨拶を返した。
「僕はカナン。こっちはキルル」
 俺も同じように名乗り、そして握手を交わした。カナンの肩で、黒猫のキルルが眠そうに鳴いた。


「実は、ここのことをろくに調べずに来てしまったんです。だから街のこととかよく知らなくて……」
 カナンは城壁を見上げながら、恥ずかしそうにそう語った。
「行き当たりばったりの旅もいいものさ。俺も昔はよくやったよ」
 俺の場合は、旅に慣れてなかった上に、今ほど情報機関が発達してなかったため、調べられなかっただけなのだが。
 カナンはそうですね、と嬉しそうに微笑んだ。

「……この街に住む人間はみんな移民なんだ」
「移民?」
「戦争でもとからいた住民はみんな、殺されたか捕虜にされたか。その後に勝った国の人間が移住してきたわけさ」
 俺は自分を見上げてくるカナンから目をそらすように、城壁と空を見上げながら語り出した。
「この城壁、何でこんな色だか知ってるか?」
「いいえ」
 カナンが首を横に振った。

「この街の住民がなかなか降伏しないから、街に火を放ったんだ。街のほとんどは焼けたが、城壁だけは残った。それを直さず、今に残してるのさ」
「なぜ?」
「……さあな」
 彼は苦笑した。
「それがわかったら、ここにはいなかったかもしれない」
 本心からそう思った。
「…――」
 カナンが何か言おうとした。
 俺はそれを遮るように、おもしろい物があるとカナンを引っ張った。検問の番が回ってくるまで、まだ、時間がありそうだった。


*       *


 遠くから、地響きにも近い轟音が聞こえる。


 背中の向こう、自分が逃げ出している場所から、それは聞こえてきたように思えた。
 だが、振り返りはしない。
 ただひたすら、恐怖に止まりそうになる足を動かし、ある場所を目指していた。いつも通る道が、知らない道のように思えたのは、きっと気のせいじゃない。
 鼓膜をふるわす轟音、悲鳴、銃声。
 なにか重いものが落ちる音、爆発の音。
 そして、血と硝煙と火薬と何かの燃える匂い。


 足の裏が痛い。
 裸足で走っていることに気がついたのは、目的の場所にたどり着いたときだった。けれど、気にしている暇なんて無い。
 煙が目にしみて、視界が悪い。
 確か、この辺のはずだ。


 ほとんど手探りで、壁沿いを探す。
 探しているのは壁にあいた穴。
 街を守る城壁に、一カ所だけ穴があいてることを知っていた。子供がようやく通れそうな、小さな穴。


 自分だけが知っている唯一の、逃げ道。


 裏切り者と言われるだろうことも、罪深きことをしようとしてることも、なにも気にならなかった。
 せまりくる恐怖に勝てるわけがない。
 なにがあっても、国民であるという誇りをなくさず、逃げずに最期まで戦う。
 そんなことできるはずがない。


 爆音が近くで鳴った瞬間、ためらうことなくその穴をくぐった。



 それが、少年の十五歳の秋。


*       *


 俺がカナンをつれてきたのは、検問から離れること数百メートル。正面の検問からも、裏の検問からも離れた一角。
「あれだよ」
 俺は城壁の下の方を指さす。
 そこには、小さな穴があいていた。
 ずいぶんボロボロで小さい。子犬がやっと通れるぐらいの大きさだ。
「穴?」
「ああ。不思議だろ? 城塞都市だったくせに、こんな所に穴があいてるんだ」
「それは、まあ……」
 カナンが崩れた穴の前にしゃがみ込む。するとキルルが肩から飛び降り、カナンと穴の間を往復する。

「その穴にまつわるちょっとした話、知ってるか?」
「いいえ」
 当たり前だが、カナンは首を横に振った。
「この穴は、戦争が起きる前にある子供があけたんだ」
「こども」
「ああ。その子供は、この街で生まれこの街で育った」


*       *


 少年はこの街が好きだった。
 だが同時に、城壁の外への好奇心も同じぐらいにあったのも事実だ。
 そんな少年が、城壁に小さなほころびを見つけた。

「なあ、これ広げたらさ、外に出れるかな?」
 少年はいつも行動をともにする、仲間たちにそう声をかけた。だが、彼らはあまり乗り気ではないようだ。
「そりゃあ、出れるかもしれないけど……」
「大人たちに見つかったら説教なんかじゃすまないよ」
「だいたい、この壁に穴あけられるわけないじゃん」
「だよなー」
 うなずき合う彼らに、少年は頬をふくらました。
「なんだよ、お前ら。つまんねーの」
「そんなことより、早く行こうぜ」
 一人が歩き出す。

「ちぇ」
 少年は名残惜しそうに、何度も振り返りながらその場を後にした。



「だからって、あきらめられるわけないじゃん」
 時刻は真夜中。
 暗い裏通りには、人っ子一人いない。
 家族が眠りについてから、こっそり家を出てきたのだ。
「っと、こっちだよな……」
 少年が最後の角を曲がる。
 目の前に、わずかに亀裂の入った壁が現れる。
 その亀裂を見て、少年はにっと楽しそうに笑った。

 しょっていた鞄をおろして、中から小さなナイフを取り出す。祭りの時に買った、安物の果物ナイフだ。安物といっても祭りの特価だから、実際はそれなりのものなんだろう。
 ナイフを逆手に握り、亀裂に向かって振り下ろす。
 鈍い、けれど結構大きい音が鳴り、少年は少しあわてる。
 周囲を何度か確認して、のどを鳴らす。
 城壁の亀裂はさらに大きくなり、足下にはいくつか破片が落ちた。
「……よーし!」
 少年は期待に胸をふくらませた。



 それからしばらく。
 夜に抜け出すのは、そうそう毎日やれるコトじゃない。
 天気が悪いときもあるし、疲れてそれどころじゃないときもある。
 けれど、確実に亀裂は穴になりつつあった。
 もともと目につきにくい場所だったが、用心には用心を。板と布で亀裂は隠してある。誰かに見つかる心配もない。



「あと、ちょっとだ」
 満月が街を照らす夜、少年はいつものように亀裂――今はもう、立派な穴だが――の前でナイフを握っていた。
 もう何度もナイフを買い換えた。
 当たり前ではあるのだが、この立派な城壁を崩すのだから、ナイフは簡単にボロボロになる。
「……これもそろそろ限界かなあ」
 そろそろ傷が目立つナイフを眺めた。いい加減、小遣いも底をつきかけている。
 ため息をつきながら、ナイフを思いっきり突き立てる。


 ガッ……!!


「あたっ!」
 勢いよく振り下ろされたナイフは、見事に壁に突き刺さった。衝撃がしびれとなって、少年の手を駆け抜ける。
 思わずナイフから手を離して、手をぶんぶん振る。そんなことでしびれが和らぐわけではないが、気休めは大事だ。
「……ふー」
 軽くため息をつき、月を仰ぐ。
 しびれの残る手には、たくさんのまめができていた。


(なんで、そんなに外に行きたがんの?)


 友達の言葉がよみがえる。
「俺だって、興味ないワケじゃないさ。けど、大人になったら簡単に行けんじゃん」
 そうあっさり言ってくれたのは、一番の友達、セト。
「俺は、今行きたいんだ」
「今っつったってなあ……」
 セトは大人びた顔でため息をついた。
「俺たち、まだ子供だぜ?」
 子供だから行きたいんだ、とは言わなかった。自分にその理由を説明できるとは思えなかった。



 あきらめない。あきらめたくない。
 少年は、まだじんじんする手を握りしめて、再び壁に向き合った。
「ぜってえ、行ってやる」
 壁に刺さったままのナイフを、一気に引き抜く。
 かなり力を入れたそれは、少し抵抗を見せて壁から離れた。 その瞬間。




「……外だ」


 ナイフとともに崩れた壁の向こうに、草の緑が見える。
 少年は迷わず、その穴をくぐり抜けた。


*       *


 俺は大きく息を吐いた。
「……それがこの穴。ずいぶん小さくなってるけど、たぶん戦争の時に崩れたんだろ」
 今では、子供だって通れやしない。
「それで、その少年はどうしたんです?」
 カナンが淡々と聞いてくる。興味があるのかないのか。
「街に戻った」
「出たがっていたのに?」
 俺は苦笑をして、首を左右に振った。
「違う。彼は出たがっていたんじゃなくて、見たかっただけなんだ。だから、街から離れる気なんて、全くなかった」
「見たかった?」
「子供の目と、大人の目は違うってコトだろ? 子供のときにしか見れないもの、感じないものってのを見たかったんだろうな……」
 カナンはほんの少し考えるそぶりを見せて、そしてこう言った。

「彼が見た景色は、どんなものだったんだろう」

「さあな」
 俺は少し笑った。
「だけど、少年はずっとこの街にいられなかったのさ」
「……え?」
「戦争が起きた」
 そう言うと、カナンは眉をひそめた。
「彼は……死んだんですか?」
「いや。生きてる」
 俺はカナンに背を向けるように、体の向きを変えた。

「戦争が起きたとき、まず入り口がふさがれた。前後の門には敵の兵が並び、誰も外に逃げることができなかった。だけど、彼には穴がある。そう気づいた彼は、家族を友達を見捨てて走った」
 少年は一度も振り返らなかった。
 なんだか俺は、神に懺悔をしているような気になった。
「それから、彼は?」
 カナンはまた淡々と俺に聞いた。
 俺は背を向けたまま、くすりと笑い、肩をすくめた。
「この通りさ」
「……つまり、あなたが?」
「そう。俺がここに穴をあけて、家族や友達を見捨てて逃げ出した子供。たったひとりのこの街の生き残り」



 カナンは黙って俺を見つめていた。
 キルルが場違いなくらい間延びした声で鳴いた。
「この街が負けたのを知ったのは、逃げ出して二、三日経ったころだ」
 だが、知ったからといって、帰れるわけでもない。
「俺はずっと世界を旅して、気がついたら大人になっていた。
長い間、旅をしすぎて、自分がどこから来たのか忘れそうになった時、真っ赤に染まる夕焼けを見たんだ」
「夕焼け?」
「そう。この街を逃げ出す時に見た、真っ赤な炎とよく似た色だった。その時だ、帰ろう、そう思ったのは」
 そして俺は今ここにいる。


「……と、そろそろ検問の時間だな、行くか」
 俺はカナンを引っ張ってきた道を戻り始めた。しかしカナンは動かず、穴を見つめている。
 俺は、そんなカナンを見つめた。
「なあ、」
 穴を見つめたままのカナンを呼んだ。
 カナンがゆっくり振り返る。
「俺は旅をやめて、この街に住むつもりなんだ」
「そうですか」
 カナンが微笑む。
「俺は、俺の名前を捨てようと思ってる」
 そして、最後に俺の名前を呼んだ人の名前を借りようとも思っていた。
「いいかな」
 カナンは微笑んでいた。






 旅人が街に足を踏み入れた。
 彼の名前はカナンといい、ごくごく一般的な格好をしていた。旅人のカナンは、この街で旅人ではなくなった。



 同じ日、別の旅人が街に足を踏み入れた。
 彼の名前はカナンといい、あまり一般的でない格好をして、黒猫をつれていた。旅人のカナンは、もと旅人のカナンと一度も会わずに街を出た。





「カナンおじちゃーん」
 遠くから、俺を呼ぶ声がする。
 この街に住みだしてから、一番に仲良くなった子どもだ。名前をセトという。最初は何の因果かと思ったが、今ではごく普通に受け入れているから不思議だ。
「お兄さんと呼べと、いつも言ってるだろう」
「ごめんごめん。ねえ、また旅のお話を聞かせて!」

 こぢんまりとした、俺の家の窓から元気に顔を覗かせ、とびっきりの笑顔を見せるセト。そして、窓際に置きっぱなしになった椅子に腰掛ける俺。
 いつもの光景。旅をしている間は見ることができなかった、日常という非日常。


 セトは言う。
 いつか旅に出たいと。


「ねえねえ、カナンも今、この空を見つめてるのかなー」
「かもな」
 俺は笑いながら、セトと一緒に空を眺めた。
 そして、尽きない旅の話をした。



 いつか、この幼いセトが旅立って、そしてどこか遠い街で、カナンと名乗る旅人に出会う――……
 そんな日が、来るかもしれない。


 俺は赤銅色の城壁の中で、赤くない空を見上げた。




 これは、終わりと始まりの物語。




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2003.6.11. 原稿用紙50枚