やぁ、ボクはキルル。
しがない黒猫さ。
Take Over 黒猫の話
「カーナーン」
ボクはボクのななめ前を歩く影に声をかけた。夕日に照らされているせいか、もうただの影にしか見えない。ボクなんか一体どれだけマックロに見えるコトだろう。
「ねぇ、カナン、きーてる?」
「聞いてるよ」
「なら、ウンとかスンとか言ってくれよ。あ、でも、スンなんて言われたって困るから、マトモな言葉を返してくれよ?」
「はいはいはい」
ボクはカナンに対してたくさんの文句を言うけど、いつだってカナンより優位に立った事はない。
人間と猫(どーぶつ)の違いなんかじゃないよ。カナンのは単なる年の功だ。
「それで、カナン。カナンは次の国に行ったコトあるの?」
「ないと思う。たぶん」
これはカナンの記憶力が悪いんじゃない。
とても長い間、旅を続けていたせいさ。
とてもたくさんの国を回ったせいさ。
「ねぇ、カナン?」
「ん?」
「覚えてる、ボクらが会った時のコト」
カナンはボクが言いたかったコトをわかってくれたようだ。眼を細めて、夕日に照らされる道を眩しそうに見つめた。
「……ああ、ちょうどこんな道だったね」
そう、こんな道だった。
こんな風に夕日がボクらを照らしていて、とても長い影を伸ばしていた。
ボクは
一猫だった。
一猫なボクの夢は、黒猫中の黒猫「ホーリーナイト」の墓を見つけるコトで(それはカナンと一緒に旅をしてからみつけるコトが出来た)、宛のない旅をしていた。
そしてボクは「ホーリーナイト」の話をしてくれた親友(もちろん猫)のキルナ・キルネから名前をもらって、キルルと名乗っていた(もちろん猫相手に)。
ともかく、あの頃、ボクは一猫で、宛のない旅をしていて、猫相手にキルルと名乗っていた訳さ。
でも、その前は違った。
信じてもらえるかはわからないけど、ボクはその昔、
* *
「 」
名前が呼ばれる。
それは間違えようもない俺の名前だ。
ただでさえ嫌いな名前を、俺がもっとも苦手とする人間に呼ばれた日には、聞こえなかったふりをしたくなっても、責められないだろう。
だけど、聞こえないふりなんてできる訳がない。
奴の声はよく通る事で有名なのだ。現に俺より前を歩いていた男が、奴の声に気が付いて振り返っている。
まったくもって、むかつく事この上ない。
「なんだよ、アラット」
俺はこの上なく嫌そうな顔をしてアラットを振り返る。
アラットは艶やかで美しいと讃えられる亜麻色の髪をゆらしながら、こっちへ走ってきた。伝統の模様が裾に入ったスカートが、彼女の足と共にはねる。
「なにをしてるの、こんな大変な時に、」
「大変でもないだろ」
俺はアラットの言葉を無理矢理遮った。
「大変に決まってるでしょう! どうしてそんな事が言えるのよ!」
アラットのきんきん声は嫌いだ。むしろ嫌いを通り越して憎い。どんな騒音だって、俺の頭をこんなにかき乱せはしない。
「おまえがいるんだ、俺がどこで何してても問題ねえだろ」
「っ!」
言葉を失ったアラットの手が振り上げられ、高い位置にあった太陽と重なった。あかぎれと細かな傷の目立つ手が、俺の頬に振り下ろされるまで、俺はずっとそれを見つめていた。
その日の夕刻、親父が死んだ。
泣いたのはアラットだった。俺は親父が死んだその時まで、まともに親父の顔を見た事がなかった。
初めてじっくりと見た親父の顔は、村の人間が言う通りまったく似ていなかった。
葬式は次の日に行われた。
小さな丘のふもとにある教会で、静かに行われた。村が喪に服していた。そして俺は、一通の手紙を棺の中に入れた。
村の人間は、それを怪訝そうな眼で見ていたが、特に何も言わなかった。あるいは、最後に息子からの謝罪を手紙にしたためたとでも思ったのかも知れない。
それから丘の上の墓地に、親父の身体は埋められに行った。俺は薄汚れた黒い上着を肩に引っかけ、少し遅れて付いた行った。
きれいなくらいに澄み切った空が広がっていた。
何人ものすすり泣きが聞こえた。
俺を睨む眼がいくつもあった。
俺はずっとアラットを見ていた。
アラットは忙しそうに動いていた。かと思うと、どこかを見つめて口の中だけで何か呟いた。そうしていると必ず村の誰かが、アラットの肩を叩き励ました。アラットはそれに笑って答えた。いつもと変わらない笑顔だった。
少なくとも俺はそう思った。
俺は居場所が無くて、墓地を離れようとした。
いなくたってさして問題ない。
俺は、振り返らなかった。
墓地を離れる間、俺がいない事をアラットに言う人間がいないようにと思った。
むしろ祈った。
こうやって俺が何かから逃げるのを、察して追いかけてくるのはきまってアラットだった。アラットはその栗色の髪をゆらし、スカートの裾をはねさせながら、俺を捜しにやってくる。そして、たいがいすぐに、俺は見つかってしまうのだ。
なんで、俺がいるところがわかるんだと聞いた事があった。
するとアラットは曖昧に笑って答えなかった。しつこく聞くと、困ったように「だって、教えたらあなたはきっと怒るわ」とだけ言った。
だが、今日だけは、その心配はなかったようだ。
一時間経っても、二時間経ってもアラットは俺を見つけられなかった。もしかしたら、俺の事を捜していないのかも知れない。これ以上、アラットに心配をかけないようにと、村の連中が黙っていたのかも知れない。
夜になって、葬式も何もかも終って、あたりが静かになった頃、ようやく家に戻った。
アラットが蒼白な顔をして立っていた。
「どこにいたの! こんな時に!」
こんな時だから、隠れてたんだろうがと言おうとした。
けれどできなかった。
「…… 」
アラットが俺の肩をすがりつくように、抱きしめた。
「あなたまで、あなたまで失ってしまうのかと……私は」
声は震えていた。
俺はなにもせず、立っていた。
手をほんの少しでも動かせば、突き飛ばしてしまいそうだった。抱きしめてしまいそうだった。口をほんの少しでも動かせば、呪いを吐いてしまいそうだった。睦言を言ってしまいそうだった。
そして俺は、そのどれもしなかった。
できなかった。
* *
『その日』は大雨だった、
という書き出しから始まっていた。
それは、一通の手紙だった。
ずいぶんくたびれた封筒で、宛先には父さんの古い友人の名前が書いてあったが住所はなかった。
俺は首をかしげる。
この人は数年前、事故で亡くなっていなかったか。
俺は不思議に思い、封筒の中身を確かめる。封はしていなかった。父さんは今、山を二つ越えた先まで、仕事に行っている。明後日の夜まで帰ってこない。いつものようにアラットも同行しているから、この家には俺しかいない。
俺はほんの少しの罪悪感と、好奇心からの興奮を胸に、その手紙を目で追った。
まず、父さんの古い友人の名前が書いてあった。
『親愛なる、ウザ・カシエル
その日は大雨だった。』
* *
その日は大雨だった。
風も強く、まさしく嵐と言える夜だった。
君と私が決裂した前の日の事だ。
君は覚えているだろうか。あの夜に起こった事が原因で、君と私は長い事交流を絶っていた。私はずいぶん後悔したのだ。なにもかも隠さず君に話せば良かったと。ついくだらない意地で私は、相談の出来る最大の友を失ってしまったのだと、あの後ずいぶん苦しんだものだ。
もう遅いかも知れないが、せめてもの懺悔代わりに、あの夜にあった事をすべて君に教えよう。いや、君に知っていてもらいたい。
ともかく、この地方で嵐と呼べる程の大雨と風が吹くのは珍しい事だから、調べればその日の正確な日付がわかるはずだ。もし、必要なら調べてくれ。
残念な事に、私はその正確な日付を覚えていないのだ。もう、二十年近く前の話だ。あの頃は、暦を見る事もしなかった。
そう、暦を見て記念日を覚えるという事が、必要だと思ったのはその日の後、暫くしてからなのだよ、皮肉な事に。
あの日、私は珍しい嵐に少しの不安と興奮を抱いていた。眠れなかったよ。もうあと数年で三十を迎えようという男が、興奮で眠れなかったのだ。今では、何かを感じ取っていたのかも知れないと思うよ。それぐらい、あの日の嵐は
暗示的(だった。
そして、寝床で風と雨の音を聞いていた時、今までとは違った音が聞こえた。それは家の扉から聞こえてきた。
嵐の風の音にまぎれて、よく私の耳に届いたと思う。普通なら風の音に消されて、まず聞こえないだろう。だが、その時、その音は、
確かに私の耳に届いたのだ(。
私は誘われるように、扉へ向かった。
誰かと問いかける事もせず、思い切り扉を開けた。ずいぶん不用心だと、今なら思うよ。けれど、私の頭から、そんなことは見事に消え去っていたのだ。それはもう、見事にね。
ともかく、私は扉を開け、そしてそこに女が立っているのを見つけた。
今にも風に飛ばされてしまいそうな、か細い女だった。
頭から暗い色のフードをかぶり、顔はよく見えない。青白い唇が印象に残っている。腕には二つの白い何かを持っていた。
私はその時、その女を知っていると思った。だが、後になって考えてみると、まったく覚えになかった。まったくだ。
確かに知っていると感じたのに(。
妙な話だろう? 思うにあの女は不思議な力を持っていたに違いない。魔女か……あるいはそれに近い何かか。いや、そうだとしても私に何の関係があるか。たとえ女がどんなものであっても、今ここにある事実は変わらないのだから。
その不思議な女は、私を見つめると(フードの下の双眼が、確かに私を見たと今でも確信している。理由は……うまく表現できないが)、静かにこう言った。嵐の音を無視するように、その声は自然と私の耳に入った。
「ここに二人の赤子がいます。
どちらかはあなたの本当の子で(、
どちらかは魔性の子です(」
女は白い何かを私に見せた。
そこにいたのは確かに赤子だった。片方のの赤子は静かに私を見つめ、もう片方の赤子は小さくしゃくり上げて泣いていた。
「あなたは、この二人が成人を迎えるかまでに
本当の子どもを(見抜かなくてはいけません(。そうしなければ、魔性の子はあなたを襲い、あなたの子は人でなくなります」
私には女が何を言ってるのか、正直よくわからなかった。
だが、私はこの二人の赤子を育てるのだろうという、確固たる確信があった。驚いてくれてもいい、あのいい加減だった私が、いきなり突き出された赤子を育てる覚悟をしていたのだから。それも、迷うことなく。
女から赤子を受け取った私は、女に名前を聞いた。
今となっては、女の名前を聞いたのか、赤子の名前を聞いたのか、よくわからない。女は、赤子の名前を言い残して去っていった。
アラット(と
(。
私は次の日、二人を村のみんなに紹介した。そう君にも。
ここから先は君も知っているとおりだ。君は私が無責任にも女を孕ませ、押しつけられたと思って私に絶縁状を叩き付けた。そして、私との絶縁をきっかけに、村を出ていった。
昔のような関係に戻る事を願っている訳ではない。いや、確かに私はそう願っているが、それをきみに押しつけるつもりはない。
もしかしたら、覚えていないだけで、私が本当に女を孕ませてしまい、押しつけられただけなのかも知れない。君が言う通りに。
だが、さっきも書いたように、私はこの事を君に知っていてもらいたいと思うのだ。そしていつか、君が私の元を尋ねてきてくれる事があったら、
私の子ども(を紹介したい。
ただ、それだけだ。
それでは。
いつか、会える事を願って、
* *
『いつか、会える事を願って、』
そう書かれて手紙は終った。
最後に父さんの名前と、何年も前の日付が書かれていた。
俺はがたがたと震える手で、手紙を元に戻し、そのまま外へ飛び出した。
俺は闇雲に走った。
何を恐れているのかはわからない。
父さんの子ではない事か、自分が魔性かも知れないという事か。ただ、俺は何かにおびえて、ひたすら走り続けた。
「……父さん」
気が付くと、丘の上に立っていた。ここから父さんを見送ったのは、つい今朝の事だ。
俺が親父を父さんと呼んだのは、それが最後だった。
もともと素直ではなかった俺が、さらに素直ではなくなって、村の連中は「反抗期かしらねえ」と首をかしげた。俺はそんなんじゃない事を、幼子心にわかっていた。
* *
アラットが泣いている。
泣いている。
そうだ、親父が死んだんだ。
そういえば、親父はどんな結論を出したんだろう。俺たちはあと数ヶ月で成人する。
私の子ども(、それはどっちなんだろう。
……いや、考える必要もないか。
部屋の隅に置いてある姿見に、俺が映っていた。黒いみすぼらしい髪に、村の誰とも似ていない緑色の瞳。えぐり出してしまいたい程に、憎いその眼。
何度、この姿見を割りたくなったかわからない。実際、俺はよく鏡を割った。割ったからといって、どうなるものでもないと知ってても、割らずにはいられなかった。
自分の姿が映るものは何でも嫌いだったし、同じ理由で水辺も好きじゃない。
俺は泣いているアラットに背を向けるようにして、自分の部屋へ入った。
血の繋がらない双子の姉は、いつまでも泣き続けていた。
村を出た方が良いのかも知れない。
そんな事をずっと考えていた。眠れなかった。小さな窓から朝の光が射し込むまで、ベッドの上で低い天井を見つめていた。
鳥が鳴き始めた頃、隣で物音がした。
アラットの鳴き声も、いつの間にかやんでいる。なにかあったのか? とっさに立ち上がり、部屋の扉を開けていた。
「……ぅ……、」
アラットが机の脇でうずくまっていた。苦しそうな息はかなり荒い。
「アラット!」
反射的に彼女を抱き起こそうとする。
そして意外な力で突き飛ばされた。
「何でよ!」
それは悲鳴だった。
「何で、あなたなのっ! どうしてあなたが生きているの!?」
俺は呆然とした。アラットが吐いた言葉にじゃない。
アラットの美しいと言われる顔に、入れ墨のようなものが浮かんでいるからだ。気持ち悪い形と色をして、まるで生きているようにそれは増大していく。
「……アラット」
「どうして、どうして、どうして!」
自らの肩を抱くアラットの手が、どんどん獣じみていく。入れ墨は、その顔のほとんどを覆ってしまった。叫ぶ口からは、鋭い歯が見える。
魔性の子。
まさかと思った。だが、それ以外に説明が付かない。
アラットが絶叫しながら、入れ墨の浮いた顔をかきむしる。長く伸びた鋭利な爪によって、彼女の顔に傷ができ、赤黒い血が流れる。
「やめろ、アラット!」
「 !」
血だらけの顔で、俺の名前を呼ぶ。琥珀色の瞳がらんらんと輝いていた。その様子は猛禽類によく似ていた。
アラットが俺めがけて飛びかかってくる。獣のような手が振り上げられ、鋭い爪が朝の光を受けて輝いていた。あかぎれなんて、まったく見えなくなった手が振り下ろされるまで、俺はずっとそれを見つめていた。
だが、俺を襲ったのは予想外の衝撃だった。
馬鹿でかい鉄板がぶち当たってきたような勢いで、俺はそのまま壁に叩き付けられた。喉の奥から苦い液体が出てきて、口を通って外に出た。
「おや、助けたつもりが……人というものはここまで脆いものですか」
衝撃でわんわん言っているおれの耳に、その声はすんなり入ってきた。女の声だ。見知らぬはずのその声は、なぜか妙な既視感を感じさせた。
「っああああああああああ!」
アラットの叫び声が遠くから聞こえた。醜くかすれた声で、苦しみにおののいているような叫びだった。
「苦しいか? 仕様がなかろう、殺すべき相手が死んでしまったのだ。その狂気はとっておくんだな」
男の声がした。アラットの声のように、ひどく遠くから聞こえた。
聞こえたのはそれが最後だった。
俺は薄れゆく意識の中で、夢を見た。
アラットが困った顔をして、親父に何かを言っている。すると親父は優しい微笑みを見せて、窓の向こうを指さした。アラットはほっとしたようにうなずいて、家を出ていった。
俺にはわかった。
アラットがどこへ行こうとしているのか。
俺がどこにいるのか。
そして、なぜアラットが俺を見つけられる理由を話さなかったのかも。
* *
ボクらが出会ったのは、夕日に照らされた道だった。
「見ろよ、黒猫だ」
後ろから人間の声がした。
「気持ち悪いな。せっかくの旅の始まりだってのに」
「どうする?」
……なんか、嫌な予感だ。
鈍い音がした。聞き覚えがある音。
そう、旅人やなんかが腰に下げている銃を抜く音……。
続けて重い金属をはめるような音。
ボクはその音を知っている。銃を撃つ前触れだ。ボクは勢いよく走り出した。
「っこの!」
音の塊がボクの耳を突き抜け、そして重たい衝撃が背中から腹へ突き抜ける。一瞬ボクは浮かび上がり、そしてぬれた音を立てて地面に落ちた。
ボクの意識は何も感じなくなり、やがて……
* *
「非道いな……」
そんな声が聞こえた。悲痛な声だった。
背中から腹にかけてが熱を持ったように痛い。
……ああ、そういえば、撃たれたんだっけ。
思い出していると、ざくざく土を掘る音が聞こえた。
?
何をしているんだろう。しばらくしてその音がやむと、ボクの身体が持ち上げられ、土の上におろされた。
……いや、ちょっとまて、これって土の中じゃないのかい?
どさりと足の上に土が落ちてくる。
ええええええええええっ!
事態を飲み込んだボクは、痛みをこらえて必死に起きあがった。正直、かなりテンパっていたんだ。
思わず
「なにすんだよっ! このヒトデナシ!」
と叫んでしまったぐらいに。
まあ、あれだ。目の前で死にかけていた猫が、いきなり起き上がって「ヒトデナシ!」なんて叫んだら、誰だって呆然とする訳だ。
「……あ、今のナシ。にゃー」
なんてやっても、遅い訳で。
自分のやった行動の馬鹿さ加減に一猫あわあわしてると、ボクを埋めようとしていた男が笑った。
逆光の中で、茶色い髪が光にすけていた。
「……にゃ」
なんだいきなり笑って。
ボクは混乱した頭で、鳴く事しかできなかった。
「あ、無理しないで良いよ。不思議なものには慣れてるから、びっくりしたけど、君が喋るのは気にしないから」
「……………………あ、そ」
珍しい人間。
「それより君、心臓を撃たれたように見えたんだけど」
「え、あ、うん。撃たれた」
わ、思い出したら痛くなってきたじゃないか。
「平気なのかい?」
「平気じゃない。撃たれてるんだから。痛い。ただボクは普通の猫より頑丈だから。……実はもう六十年近く生きてる」
「六十年」
あや、信じちゃった?
男は驚いて、笑いもせず、真剣な目でボクを見ている。
いやいや、ホントの事だけどさ。まさか信じるとは思わなかったから。
「……じゃあ、僕の勝ちだな」
「はい?」
「いや、こっちの話。それより君、この先の国に行くつもりかい? だったらやめた方が良い。あそこは黒いものを毛嫌いするから」
「黒猫も?」
「そう。いくら頑丈だっていっても、痛い思いはしたくないだろう?」
そうだね、したくない。
ボクは男の向かってうなずいた。
男は笑った。なんだか、ほっとしたような笑い方だった。
「ボクはカナン。君は?」
「キルル」
すいっと前足を出すと、カナンはわかってくれたようで、ボクたちは右腕と右前足で『握手』をした。
「ボクは宛のない旅をしているんだけど、できたら君と一緒に旅をしたいな。きっと、素敵な旅が出来ると思う」
「別に、構わないけど?」
人間と一緒に過ごすなんて、何十年ぶりだろう。
「それじゃあ、ひとまずどこへ?」
カナンが笑った。
ボクたちは夕日の中、長い道を歩き出した。
長い影が、伸びていた。
* *
女は俺に醜く生きなさいと笑った。
目が覚めると俺はみすぼらしい黒い猫になって、そして死ねなくなっていた。
女は言った。
彼は、親父は本当の子を選べなかったと。
なぜなら、
「彼はあなたたち二人を自分の子だと笑って言いました。死ぬ直前の事です」
嘲るように笑って、女が言った。
俺はそれを泣きたい気持ちで聞いていた。
ボクは、その時初めて、父さんの死を嘆いた。
そしてたった一滴の涙を流した。
* *
ボクはカナンの背中を駆け上り、肩の上に乗った。
「キルル!」
カナンが怒ったように言ったけど、ボクは気にしなかった。カナンがくれたおそろいのバンダナが、風に揺れた。
「ねえ、カナン。ボクらの故郷はまだあるかな」
ボクの故郷と、カナンの故郷。
「……さあ、どうだろう」
「いつか、行けると良いね」
いつかお互いの傷も、残した想いも、
そういうものを全部ちゃんと受け入れて、
そしていつか。
「そうだね」
カナンが微笑んだ。
ボクたちは夕日の中、長い道を歩き出した。
長い影が、伸びていた。
これは、終わりと始まりの物語。